タロットの教え

久しぶりに瞑想会に行く。

ほぼ一年ぶりの瞑想会という集まり。
瞑想は色々なやり方があるけれど、ここの瞑想は「動と静」の瞑想。自分に合っていると思う。

引っ越して五ヶ月が経ち、目に見えないあえて感じようとしてこなかった心のモヤモヤが
日常的に感じるようになってきた。
これは瞑想しかないと、タイミングよく松本でやっている方がいたので参加した。

いつも終わった後は視界がふわ~っと開けてチャクラが開いた様に心が解放されるのだが、
今の凝り固まりは思っていた以上に深く、頭と心がガチガチで全然解放されず…。

谷間の呪いか…
色々試してみたが振りほどけなかった。



最後にタロットを一枚引いてみる。

turning.jpg

「turning in」 内側に向かう
内側に向きを変えることは、向きを変えることではまったくない。
内側に入って行くことは、行くことではまったくない。
内側に向きを変えるということは、あなたがあれこれと欲望を追いかけてきて、追いかけるたびに何度も何度も欲求不満にみまわれつづけてきたことを意味しているだけだ。
どの欲望も惨めさをもたらすということ、欲望を通しては満たされることはないということだ。
あなたはけっしてどこにも行き着かないということ、満足することはありえないということだ。
この、欲望を追いかけてもどこにも行き着かないという真理を見て、あなたは止まる。止まろうと努力するのではない。止まろうと努力したら、またしてもそれは追いかけることだ——微妙な意味で。
あなたはいまだに欲しがっている——あなたが欲しがっているのは、今度は無欲かもしれない。
内に入るために努力しているのであれば、あなたは依然として外に向かっている。
努力はすべて、あなたを外に、外側に連れ出すことしかできない。
旅はすべて外に向かう旅だ。内に向かう旅はない。どうやって内側に向かって旅ができるかね? あなたはすでにそこにいるのだ。行こうとすることなど問題外だ。行こうとすることが止まったら、旅をすることも消える。欲しがることであなたの心がもはや曇っていないとき、あなたは内にある。
「内側に向かう」と言われているのはこのことだ。だが、それは向きを変えることではまったくない。
たんに外に出て行かないことだ。

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欲望ですか…。
「あなたが欲しがっているのは、今度は無欲かもしれない」痛いお言葉。
今あるべきものに感謝し、欲を追わずに生きていきたいというのは永遠のテーマだけど、
「今の現状に満足せずに欲望を追いかけ、決してどこにも行き着かない」というのはズバリ言われたな、という感じ。

田舎でシンプルな暮らしをしたい、というのも欲望。
畑や田んぼをやって、循環型の暮らしをしていきたい、というのも欲望。
そのために、今の家では無理があるので引っ越したい、というのも欲望。

あー無欲になりたい!

…ってこれも欲望か。




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