命をいただくということ

久しぶりにニワトリを解体することになりました。

近所で平飼い養鶏をしている方が、ニワトリを処分するということで分けてもらうことになったのです。
卵を産む鶏は三年で産卵量が落ちるので、三年に一度ニワトリを入れ替えるそうです。

で、古いニワトリたちは産業廃棄物として処分される運命。

毎回私たちが戴くニワトリはその処分される運命の子達、三歳。

アジアや中南米、他の国でも市場に行けばニワトリを解体している姿は日常的なものなのに、日本ではその姿を見ることもできないし、スーパーで売っているお肉がどこからきているのか知らない子どもたちが多いと思う。

世界で考えると、自分が生きていく中のものを自分で作りだせる力を日本人はどれだけもっているのか。

綺麗なものだけじゃない土臭さ、人間臭さを持たないと生き残れないと私は思うんです。

なーんて。


わたしは自然の中で暮らすことが好きなので、その中で生きる自然な流れとして食べ物は自分たちで産みだしていきたいと思うんです。

で、今回は去年の冬に家で飼っていたニワトリがきつねに襲われて全滅して以来の久しぶりの解体でした。

娘ももうすぐ三歳。
どんどん知恵がついている時期なので、彼女にも見せたかったんです。

友人たちと集まり30羽。

人数がいたからみんなで出来たけど、やはり辛い。
4羽目で私は自分で首をはねるのに限界を感じました。

命は重いです。

スーパーでお肉は簡単に買えるけど、その元は命あるもの。

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何も偏見のない娘は、全く怖がらず全てを自然の流れとして感じていたようでした。

こういうのは大人より子どもたちに見て知ってもらわなければいけないと思うんです。




サムゲタンにカオマンガイ。
生命力の強すぎる夜ごはんを頂きました。
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